Prologue
「…ホウイチさん、ですね?」
突然背後から聞こえてきた金属的な声に、オレはビクンと肩を震わせた。
「あーそのまま振り向かないで………顔は見ないようにお願いします」
まるでオレの心を見透かしたように金属声が言うと、後ろから誰か近づいてくる気配があった。
背後の人物はどうもボイスチェンジャーを使って喋っているらしい。
あのメンドくさい手続きといい、この受け渡し方といい、本当に秘密主義なことだ。
そうしてこれまでの長い道程を思い返していると、いつの間にか視界の横に黒い背広が写った。
オレは指示通りに振り向かず、そのまま下方に伸びる夜の川面を何の気なしに眺める。
すると背広の人物は、オレが数刻前から肘かけている橋の欄干に7、8㎝くらいの小箱を置いた。
「ご要望には全て沿っていると思いますよ。 入金は指定した口座に期限までに必ず。
万一トラブルがあった場合、あなたも我々も少々困ったことになりますからね」
この段階に至るまでに何度も耳にした文句を耳障りな声で最後に付け加え、背広は歩き去った。
正直あの噂を聞いたときは半信半疑…というか、タチの悪い冗談としか受け取っていなかった。
それは『人間の耳掃除を生業とする小人がいる』というもので、
なんでも最近になって名もないバイオテクノロジストが秘密裏にその小人を作り出し、
一部のミミカキスト達にこっそりと販売しているらしい。
まったくの偶然からこの話しを耳にしたオレは、内心期待していたと言わざるを得ない。
何しろオレは、自他共に認める重度のミミカキスト。
恐らくその小人を作ったであろう研究者とやらも、同類に違いない。
そして数週間前、オレは某巨大掲示板の『健康板』に赴き、ある板の一つに暗号を書き込んだ。
その暗号に対してメアド付きの返信があり、そこから色々と複雑な手続きが始まるとのことで、
なんともアバウトな情報だったが、独自の調査ではこれが限界だった。
キーボードを叩いている間も「何やってんだかねオレも」等と自分を軽く蔑んでいたが、
いざ本当に返信があったとき、疑心は半ば確信に変わっていたのを覚えている。
それは行き過ぎとも言える秘密厳守の手続きやら、契約書のサインとハンコを通して、
ますます揺るぎないものへと変わっていった…。
1.
横に錐か何かで空けたのか、空気穴のある厚紙製の小箱。
自宅に戻ってきたオレは、恐る恐る背広から受け取ったその箱を開けてみる。、
…中からひょっこりと出てきたのは、まさにおとぎ話に出てくるような小人だった。
全長わずか5㎝程、癖のない黒く長い髪、材質は何かわからないが全身を包む漆黒のスーツ、
そして慎ましくふくらんだ、小さな胸………そう、この小人は女の子だ。
「初めまして、ホウイチ様。 今日からお世話になる、サユリと申します」
姿勢を正し、柔らかな微笑みを浮かべ、サユリは丁寧にお辞儀した。
ホウイチとは、オレがネットワーク上で名乗る名前、いわゆるハンドルネームというやつだ。
そういえば購入リストに『小人の性別、名前、あなたの呼び名』を書く欄があったのを思い出す。
背広が去り際に言った「ご要望には~」ってのは、こういうことだったのか…。
「ああ…えっとその、ヨロシクね?」
「はい、こちらこそっ」
にこやかな笑みを返してくれるサユリを前にしても、正直今起きている現実を受け入れられなかった。
オレは立ったまま夢を見ているんじゃなかろうか? でも夢ならどうか覚めないで欲しい…。
生まれて初めて芽生えた複雑な感情と置かれた現実に当惑しながら、オレはそんなことを考えていた。
ちなみに非常にどうでもいいことだが、彼女の名前は初恋の女性から取っている(恥)。
「ではホウイチ様、早速施術なさいますか?」
オレの心境など(多分)知るよしもなく、サユリが問いかけてきた。
そうだった、彼女のライフワークは耳掃除なのだ。
「そ、そうだな、頼むよ。 悪ィね、気ィ使わせちゃって…」
脳も言語も未だに半分バグッたままのオレがなんとかそれだけ言うと、
サユリは一度お辞儀して、自分が入っていた小箱をストンと横倒しにした。
中から出てきたのは実に多種多様な用途不明の小道具。
それらを実にテキパキと身につけていくサユリを見ているうちに、次第に期待が高まっていく。
腰にホルスターのような装着具が幾つもついた革製(であろう)ベルト、左手にはフックつきのロープ、
そして背中に青白く光る金属製の細長い棒をベルトの間に挟みこむと、サユリはこちらに向き直った。
「お待たせしました。 お手数ですが、私を施術する耳まで運んでもらえますか?」
2.
ホウイチ様の手の甲に乗せてもらい、無事左耳に到着した私は、
命綱をヘソの辺りに括りつけ、しっかりボタンと留め金でとめた。
ちょっと失礼して耳の付け根に当たる軟骨の部分に命綱を巻きつけ、パチンとフックで固定。
最後に耳朶の下辺に両足をかけて身体を固定し、不安定じゃないか確認後、準備完了。
「それでは、まず産毛を剃らせていただきます」
私は背中から無造作に金属の棒…通称『十得』を抜き取り、底部のスイッチを入れた。
アタッチメントを何も装備していない状態の十得は、産毛剃り用のバリカンとなるのだ。
独自の駆動音と、作業の邪魔にならない程度の振動を肌で感じ、十得を耳穴に差し込む。
入口付近に雑草の如く生い茂る産毛を、私は容赦なくジョリジョリと剃り落としていった。
「ん~、耳毛剃られるなんて初めてだよオレ…あ、落ちないように気をつけてな?」
「はい、お気遣いありがとうございますっ」
出会って間もない私を心配してくれるホウイチ様………自然と心が温まっていくのがわかる。
十得を左右にゆっくり往復させつつ、次第に奥のほうへと進んでいく。
あらかた無駄毛処理を終えた頃には、二枚刃の間にはビッシリと産毛が詰まっていた。
付着した細かな耳カスと共に、眼下のホウイチ様が敷いてくれたティッシュ目掛けて振り落とすと、
次はいよいよ本格的な施術に取り掛かる。
腰のホルスターから、耳穴の大きさに合ったサイズの耳掻き型アタッチメントパーツを選び、
十得の先端に取り付けるのだが、私にはこの瞬間が密かな楽しみでもあった。
耳という小さいながらも敏感な感覚器官を通していかに人を喜ばせ、至福の境地に立たせるか?
この究極のテーマに心血を注ぐため、私達は厳しい訓練を通して耳の快楽中枢、あらゆる耳ツボ、
そして性感帯まで全てを知り尽くしている。
まずは太めでサジの反り返りが浅いパーツをチョイスし、入口付近の垢を掻き取っていく。
産毛剃りの地点で気になっていた、めくれて申し訳なさそうに耳壁に貼りついた白い薄皮。
細かな動きで皮が吸着している限られた部分を耳掻きでカリカリコリコリ、わざとゆっくり剥がしとる…。
「あ、ぉお…んっ………まだ全然奥入ってねーのに、コレは………」
「お気に召しましたか? すぐにもっと良くなりますからね」
3.
太いタイプの耳掻きの役目は、なにも耳垢を掻き出すばかりではない。
外耳道の内部に点在している快楽秘孔…そう、耳ツボを刺激するのにも適しているのだ。
ただ無意に引っかくのではなく、私達は常に意識して耳ツボを攻める施術を心がけている。
数年前から認可されているイヤーエステの間でも耳ツボは周知の事実となっているようだが、
小人である私達なら人間技では真似できないような、さらにきめ細かいテクを行使できる。
クリッ、クリッと少し捻りを加えながら、赤黒い塊をそっと剥がし取っていく…。
耳穴の中ほどに差し掛かった天上に当たる箇所に、それはガンコにへばりついていた。
無論この辺りにも快楽の耳ツボは存在するので、耳垢の摘出と同時進行で刺激していく。
「…な、なぁ」
「あっ、もしかして痛いですか?」
「いやさぁ、人にやってもらう耳掃除って、こんなに違うもんなんだ、って思って…」
一瞬ホウイチ様の言ったことがわからず困惑するが、すぐに理解できた。
今掻き出している老朽化した耳垢は、一目瞭然とも言うべく血が凝り固まって出来たもの。
自分でする耳掃除は力加減こそ最適なものに調節できるが、内部をまったく把握できないうえに、
耳の中は予想以上にデリケートなので、つい傷をつけてしまいがち。
これも、知らず知らずのうちに作った傷から滲み出た血が生み出したものだろう。
「ご心配なく。 ホウイチ様のお耳を傷つけるようなミスは、決して犯しません」
「えっと、そーゆー意味で言ったんじゃなく、単に気持ちよさが断然違うってことを………
まぁいいか。 なんか邪魔しちゃったみたいだし、続けて?」
「い、いえ、お邪魔など…」
思い違いだったのだろうか? とにかく続きをせがまれた私は、取れかけの塊をボロリと崩し落とす。
それまで耳垢が貼りついていた真新しいピンク色の皮膚を細かく丁寧に掻きながら、
私の目は赤く腫れ気味の、奥まった部分を睨んでいた。
とてつもなく大きく、まるで黒曜石のような耳垢。
十得のオプションである小型ライトで照らしてみると、光沢さえ放っているから驚きだ。
私はホルスターから一番細身で鋭角化しているものを抜き取り、ある推測をした。
4.
ありがちなケースなのだが、耳垢が取れないからといってガシガシと耳掻き(or綿棒)を突っこみ、
耳垢をどんどん奥へ押し込んでしまい、自分一人では手に負えなくなるのはよくあること。
さらにそれが鼓膜付近で吸着して根を張り、耐え難い痒みとなって襲ってくるのだ。
こうして炎症を起こして赤くなってしまっているのも、全てはあの耳垢を掻き出そうとしたせいか。
…しかし、それも今日で終わる。
神経を研ぎ澄ませ、極細の耳掻きとなった十得を耳の最深部に向けて慎重に進めていった…。
「おぉ~、なっなんかスゲー近くでガリッ、ガリッて音すんだけど…」
「痛くしませんから、力を抜いていてくださいね」
鼓膜に張り付いていなかったのは不幸中の幸いだった。
最奥の施術は、当然だがもっとも危険を伴い、また高度なテクニックを要する。
特殊合金製耳掻きの先端部分が鼓膜を一瞬でも突かないよう注意しながら、
ガッシリとした巨大な黒い塊の根元を、そっとほじくっていく。
カリッ、カリカリ………コリコリ…ペリパリッ………
人に比べてあまりにも小さい私には、こうした生々しい音が極めて鮮明に聞こえてくる。
だがそれを悠長に堪能することは許されない。
少しづつ、時に大胆に動き、確実に耳垢を外耳道から剥がしていく。
私は何度も唾を飲み込みながら、最後の瞬間まで油断せず処置に当たった。
ゴリゴリゴリ………パリッ…ボロッ。
ようやく取れた! 時間にしてはほんの僅かな時だろうが、私には随分と長いように思えた。
微かな重みさえ感じる巨大な耳垢をサジの上に乗せて、そろそろと運び出す。
耳穴から取り出してティッシュの上に放ると、私はもう一度耳の中を点検した。
普段から念入りに掃除していたのか、ガンコな大物以外に目立った耳垢はなかったと言える。
「お疲れ様でした。 ひとまずこちら側は終了となりますけど…」
「う~、そっかぁ………けど、なに?」
「もし綿棒とベビーオイルか何かがありましたら、隅々まで綺麗にいたしますよ?」
名残惜しそうにしていたホウイチ様の表情が、パッと明るくなる。
Epilogue
一度は覚めかけた至福という名の夢を、オレは再び味わっていた。
買い置きしておいた耳用のローションが、こんな形で楽園への鍵になるとは思わなんだ。
サユリの操る綿棒はヒヤリと冷たい感触と共にオレの耳の中へ潜り込み、
耳の奥から入口に向かってグルグルと内部に残っているであろう耳垢のカスを拭っていく。
「マジ気持ちいいわぁ………なんつーか、ウットリしちゃう」
「うふふ。 ありがとうございます」
嬉しそうなサユリの返事を聞きつつ、オレはティッシュの上に転がったブツを摘みあげた。
1cm弱はあろうかという、今まで見てきた耳垢の中でも超特大の真っ黒なカタマリ。
掌でコロコロと弄び、内側を凝視すると、まるで木の年輪のような模様が渦を巻いていた。
いつからか耳の奥が定期的にむず痒くなってた原因は、コイツか…。
清々しさと爽快感、ついでにどこか寂しいような気持ちになり、塊を摘んでいた指を放す。
ポトリとティッシュの上に落ちたのを目で確認し、快楽に集中するべくオレは目を閉じた。
そうだ、明日にでもサユリが住まう家を買いに行かなければなるまい。
ハムスター用のケイジでいいものだろうか? たしかマニュアルが送信されてくるはずだ。
ああ、それからサユリは普段何を食べて、どんなものが好物なんだろう?
これから始まるであろう小さな同居人との生活に、オレの想いは膨らんでいくばかり。
上京して数年経つが、友人こそあれど未だに恋人すらできなずに一人身を貫いてきた。
それが辛いと思ったことはないが、侘しかったと言える毎日ともオサラバだ。
現時点で恐らく最良のパートナーの出会いと共に…。
「…はい、終わりました。 次は反対側を施術しますので………」
「うん、早いとこ頼むよ」
《終》