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耳の洞窟

父と娘の耳かき

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父と娘の耳かき

私は、こよりが好きだ。
あの細い、なんでもない紙紐に妙に惹かれてしまう。ディッシュの薄紙から、上質な和紙まで、紙は何でも良い。
幼い頃は紙を丸め、床柱の木目の隙間や、縁側の板間の溝、果ては猫の耳とあらゆるところに差し込むいたずらをして、良く亡くなった母に怒られたものだ。

大人になってそのクセは自然となくなるものかと思っていたのだが、成長するにつれてそれは変な趣味となってしまった。
何かと言えば、自分の耳の穴にこよりを差し込むのだ。自分の耳の穴であれば、誰に怒られるものでもない。
あの背筋がぞわぞわとして、優しく回せばこそばゆく、また手の届かないところをくすぐられる感覚は、妙にこう官能的なというか、そそる気分になる。
たまにこよりの先が茶色くなってるのを見ると、なんとなく耳の中が綺麗になっていると思え、良いことをしているのだと結論付けている。
そう。私は耳掃除をしているのだ、と自分で理由をつけ、この20年以上耳かきなんぞ突っ込んだことがない。こよりのおかげで掃除は完璧だと。
不惑の年を過ぎても、いまだやめられぬ。人には言えぬ秘密である。

その日は、会社の健康診断であった。
少々出てきた腹が気にならないと言えば嘘になるが、煙草も飲まねば大酒もやらぬ。至って問題はないものと自負していた。
が、しかし。健康だけがとりえのはずであったが、ついに検査にひっかかってしまった。何かと思えば、耳である。
検診の医者が言うには、音の聞こえが悪いはずだと言う。聴力の数字が足りないらしい。再検査をするようなにやら紙をもらった。
確かに電話の音、会議のざわついた声、聞き取りにくくなってきたかとは思っていたが、年のせいではなかったのか。
医者にはまさかこよりを突っ込み、耳を傷め続けてきたせいなのか、とも聞けず、不安な気持ちを抱えたまま、とぼとぼと家路についた。

家に着くと、なにやらさわがしい。
居間に入ると、就職して今は遠くのアパートに暮らしているはずの娘が妻とクッキーをかじりながら話し込んでいた。
聞けば大切な話があるとかで休みを取り帰ってきたのだと言う。何の話だろうか。
くたびれたスーツを脱ぎ、居間着に着替えてソファに腰掛ける。深くため息をつくと、逆に娘が心配して聞いてきた。
娘は私の趣味を知っているので、健康診断で耳の聞こえがおかしいと言われたこと、再検査が必要であることを明かすと、横になれと言う。
耳の中を診てやると言うが、あまり気も進まぬが自分でも見えないし仕方がない。
押し倒されるようにして隣の和室に連れ込まれ、座布団の上に横になる。娘はどこからか梵天の耳かきと、綿棒の束と、懐中電灯を持ってきた。

娘に耳の中を見せると、突然に頓狂な声を上げた。
まるでお菓子のバームクーヘンだと言う。耳の壁に沿って、耳垢が張り付き、年中こよりを突っ込んでいた中央だけがぽっかり空いた状態らしい。
取ってやるからおとなしくしてろと言われ、目を瞑り娘の膝枕の上、じっと動かないよう我慢する。
私は飴耳なので、まさしくズズッ、ズズッと耳の中から垢を引き剥がすといった感触がする。
しばらくすると、グチャグチャと練り物のような音がして、ズルゥーリ!と塊が引っこ抜かれた。
目をあけると、梵天の耳かきの先にはまるで夜店の鼈甲飴のような茶色と黄灰色の混じったものがべっとりとついていた。
驚いて体を起こそうとするが、また押し戻される。今度は綿棒だと。ぐりぐりと突っ込まれ、何度も何度も差し替えられる。
途端に真っ黒く汚れた綿棒の山ができる。気恥ずかしさでたまったもんじゃない。
ひととおり終わると、次は反対側を出せと言う。放ったらかしにする訳にもいかず、体を逆にする。

娘の膝枕に顔を埋め、耳かきをしてもらうなんて、私もそういう年になったのだな。
いずれは娘も嫁に行くのだろうか。一抹の不安がよぎる。と、娘が耳かきを続けながら、少しづつ話し始めた。
まさしくそれは、自分には良い人がいて、自分はその人のところへ嫁に行きたいと、彼に会ってもらえないかとの話であった。
恐れていたことが現実になってしまった。しかし、動揺するわけにもいかない。黙って体を預け、耳を掘られながら娘の話を聞く。

小一時間も経っただろうか。
両耳はすっかり軽くなり、さっぱりとした。目の前にはティッシュにごってりと盛られた耳垢と、大量の綿棒の山。
私は体を起こし、それを見つめた。そうか。このおかげで耳の聞こえが悪くなっていたのか。
長年のこよりのせいで、耳垢が耳壁に押し付けられてしまったのだろうな。長年の耳垢の分だけ、心も軽くなる。
娘は黙って私の目を見ている。答えを待っているのだろう。私は、ポツリと答えた。

「・・・いつ、連れてくるんだ?」
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